皆さんこんにちは。
今日はいつもラジオで放送している、「ひでぼ会長のちょっと気になる介護よもやま話」の原稿ができたので、その内容をブログにも掲載してみたいと思います。
というわけで、今日のテーマは、
「義務と権利」について、ちょっと考えてみたいと思います。
おっと、久しぶりになんか難しそうなテーマやで〜!
そんな話はちょっとごめんやな〜という方は、どうぞ聞き流して下さいね。
今日は僕なりの考察を少し進めてみたいと思います。

皆さんは「権利」という言葉を聞いて、どんなことを思い浮かべますか?
介護を受ける権利。
医療を受ける権利。
自由に生きる権利。
確かにどれも大切なものですし、「権利」がなければ困りますよね。
でも最近僕は、少し違うことを考えているんです。
本当に権利というものは主張するものなのか?
権利とは、本来そこに当然存在しているものであり、私たちはすでにその恩恵を十分受けながら生きています。
空気を吸うことも、
言葉を話すことも、
家族と暮らすことも、
多くの権利の上に成り立っています。

ところが、それを強く主張し始めた瞬間に、権利は少し姿を変えるように感じるのです。
それは時に「強欲」という言葉に変わり、人の顔つきまで変えてしまいます。
もっと欲しい。
私を優先してほしい。
私の権利を認めてほしい。
そうなった時、権利は人と人を結びつけるものではなく、人と人を分断するものになってしまうのです。
義務も同じです。
義務とは本来、誰かに言われて果たすものではなく、自ら当然のように行うものだと思います。
家族を大切にすること。
約束を守ること。
人に迷惑をかけないこと。
多くの人は普段から、そんな気持ちを持って生活しています。
しかし義務が強制された瞬間、それは義務ではなく拘束に変わるのです。
やらされること。
縛られること。
そんな感覚に変わってしまうのです。

私は介護の仕事をしていてふと思うんです。
権利と義務は大切な考え方です。
しかし、それだけでは少し足りないのではないかと。
昔の日本には、
「お互いさま」
という言葉がありました。
思いやり。
譲り合い。
助け合い。
そうした気持ちが先にあれば、権利を主張する必要も、義務を強制する必要もありません。
介護も同じです。
利用者さんと職員。
家族と本人。
どちらが正しいかではなく、お互いを思いやる気持ちがあれば、多くの問題はもっと穏やかに解決できるのではないでしょうか。

本当に成熟した社会とは、権利を振りかざす社会でも、義務を押し付ける社会でもなく、お互いが自然に思いやれる社会なのかもしれません。
権利や義務は、人が集団で生きるために作り出した仕組みです。
しかし、その仕組みを支えているのは法律でも制度でもありません。
人を思う心です。
今日はそんなことを考えてみました。
義務を強要する言葉。
権利を主張する言葉。
少し見直してみませんか?
そしてぜひ、この歌を聞いてみて下さい。
確かにそこには、新しい風が吹いているんです。
僕たちを包む、本当に優しい風が……

僕たち風物語実行委員会のメンバーは、9月4日金曜日、和歌山城ホール小ホールに「風物語コンサート」という風を吹かせるつもりです。
それではここで一曲。
つむぎ人HIDEで
「風〜オーディエンス」